先日、電車の中で「色彩検定UC級」というのを目にしました。
色のユニバーサルデザインの検定だそうです。

色については、個人的に気になっていることがあります。
昔は「色盲」「色弱」と呼ばれた色覚異常。
「色覚特性」という表現を使ったりもするようです。
2017年9月から日本遺伝学会により「色覚多様性」という呼称が提案されています。

色覚異常は遺伝性のものが多く、
小学校入学時に色覚検査を行うことによって
差別の対象になるなどの問題があるということで、
2003年から色覚検査をしなくなりました。

私の上の娘は色覚検査を受けましたが、下の息子は受けていません。
そのことはまったく意識していませんでした。

ところが、息子が中学の途中で転校することになり、
健康診断をやり直した際に色覚検査をし、色覚に異常があることが判明したのです。

そのとき、「ああ、もっと早く気づいてやるべきだった」と思いました。
本人にとってみれば、それが普通の状態であり、
程度も軽いものなので、あまり困ったことはなかったようですが、
確かに、友だちと色のことで「?」と思ったことがなかったわけではないようです。
息子に色覚異常が出る可能性は知っていたはずなので、
ちゃんと気をつけてやればよかった、と思ったのです。

実は、私の父が色弱でした。私がそのことを知ったのは、高校生のときでした。
父は手紙の宛名を書こうとしていて、
私に「このペンは黒か、赤か?」とペンを差し出して尋ねるのです。
そのときは「何を言っているのだろう?」と思いましたが、
その後、他の家族から教えてもらいました。
父は昔、手紙の宛名を赤色で書いてしまうという大失敗をしたことがあるそうです。
それで父の質問に納得がいきました。
そのころには遺伝の法則のことも学んでいましたから、理科の勉強にもなりました。

父は趣味で油絵を描いていましたが、ちょっと変わった色使いをしていました。
いわゆる「赤」「緑」は使うことがなく、
それぞれ「朱色」「淡い深緑」のような色を好んで使っていました。
それはひとつの個性なのだという受け止め方をしていました。

色の見え方というのは、
「色盲」「色弱」「正常」というようにはっきりと分けられるわけではなく、
個人個人で微妙な違いがあります。
それは個性と言えるものだと思います。

その一方で、そこから生活に支障が出てくると、「障害」とも言えます。

色のユニバーサルデザインが必要とされるのは、
さまざまな標識や注意書きの色使いひとつで、
色覚異常のある人にとっては見づらくなってしまうからです。
危険を知らせるものであれば、命に関わることにもなりかねません。

一見正常と思われる人にとっても見づらい例として、地下鉄路線図があります。
あの複雑な路線図をすべて色だけで区別しようとすると、
それぞれの色の違いを見分けるのが非常に難しくなるのはお分かりいただけると思います。

そこをどうしたらよいのか?

色だけの区別ではなく、点線や二重線という表記も使って区別する方が、
すべての人に分かりやすいものになるわけです。

色彩検定UC級のテキストを見てみると、
色覚異常のある人が区別するのが難しい色の組み合わせがあり、
ほんの少し色合いを変えるだけで見えやすさが変わる例が挙がっています。
市販のマーカーでも、色覚特性を意識した色の変更をした商品もあります。
鮮やかなピンクだったものをソフトピンクに変更することによって、見やすくしたのです。

日本眼科医会では、2013年の調査で
色覚異常の子どもの半数が異常に気づかないまま進学・就職時期を迎え、
その6人に1人が進路の断念などのトラブルを経験していることが分かったそうです。
そして希望者には小学校低学年と中学1・2年で
検査を実施するのが望ましいと訴えています。

学校側では平成28年度から児童生徒に「色覚希望調査票」を配布し、
希望者に色覚検査を実施することになっています。

私の息子のことを考えてみても、色覚が関係するような進路を選ばなかったにせよ、
もっと小さいときに気づいてやれていれば、
不安や困惑を減らすことができたのではないか、と思うのです。

「差別を避ける」という発想は、
「あるもの」を「ないもの」として目をつむってしまうこと。
近年、そこから「違いを受け入れる」という姿勢へと変化してきています。
社会も少しずつ成熟しているということでしょう。

色のユニバーサルデザインというのは、
自分とは異なる見え方の人のことに思いをはせること、
色の見え方という視点からひとりひとりが異なる存在であること、に気づかせてくれます。

あなたの「赤」は他の人の「赤」とは異なっているのかもしれない、と思うことで、
少し優しくなれそうです。